2008年5月11日 (日)

どんな監督・・?

日中韓共同・横浜開港150周年記念映画製作委員会の委員であり、日本側プロデューサーの武重邦夫さんにお願いして、「3つの港の物語」の日本作品『桟橋』の監督に選抜された渡辺紘文さんについて、コラムを書いていただきました。

渡辺紘文さんは今年日本映画学校を卒業した26歳の映画青年。卒業制作である『 8月の軽い豚 』という作品の脚本・監督をつとめました。

日中韓共同製作の日本代表という大役に抜擢された渡辺さんは、『桟橋』をどんな作品に仕上げてくれるのでしょうか?彼に期待を寄せる武重さんのコラムから、まずは渡辺さんの人物像を探ってみたいと思います。

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「どんな監督・・?」

2月末、日本側作品「桟橋」の監督として渡辺紘文が選抜された。
彼の卒業制作作品「8月の軽い豚」が、フジフィルムや日本撮影監督協会が共催する第9回フィルムラバーズフェスタで大賞等を受賞し、その演出力を評価されたものだ。

映画「8月の軽い豚」は、栃木の小さな町の養豚所で働く青年が過酷な現実と格闘しながら生きていく話である。ま、近頃の若者が作る軽い映画とは異なる重量感が在る作品で、登場人物も豚に似て汚く切ない人たちばかり。過疎と経済格差の泥沼に蠢く地方の人間群像の中に、のたうつ青年の姿が一条の光としてキラリと輝く作品だ。

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監督の渡辺紘文はイガグリ頭のごつい26歳の映画青年だ。映画「8月の軽い豚」を観た人たちは、その土臭い彼の容貌に豚を連想し、養豚所に育った渡辺の自叙伝だと納得する。
しかし、彼の容貌と作品が偶然に一致しただけのことで実際はそうではない。
渡辺は栃木の良家の子弟で、幼少からピアノのレッスンに通わされたお坊ちゃんなのだ。現に彼の弟は武蔵野音大でピアノ奏者として修行中である。

渡辺紘文は大東文化大学を出て平成16年に日本映画学校に入学し、僕の主宰する武重ゼミにやってきた。1年生だが年齢は22歳。本来ならゼミの牽引役になるところだが、その年は30歳の学生を筆頭に28歳の留学生など高年齢生がうじゃうじゃ居て余り目立たない存在だった。寡黙で性格温順。蟹の様な四角い体型が如何にもフットワークの悪さと“不器用人間”を連想させ僕は渡辺を好ましく思った。端的に言えば、僕は自分自身が愚鈍だし、長い経験からすれば、フットワークの良い人間より愚鈍の方が信頼できる。

僕のゼミは1学期の始め毎週、課題短編創作を書かせる。
「口紅」とか「家族」とか僕が課題を出して学生達にオリジナルを書かせ、翌週、彼らの書いた作品で分析授業を行なうハードな教科である。この教科の目的は発想と表現のトレーニングだが、僕の狙いは構成力の養成だった。映画を目指すものはシナリオを理解できなければ役立たない。そしてシナリオは、書くにも読みこなすにも構成力の有無がポイントになる。監督だけでなく、撮影も録音も編集も制作部ですら構成力を身に付けておかないとまともに仕事は出来ない。映画作りの原点は好奇心と構成力だと僕は信じている。

人は見かけによらないものだ。渡辺の書く短編は彼のどん臭さとは反対の洒落た観念的で抽象的なものが多かった。ま、ぺら10〜20枚の短編だから仕方が無いが、アイデアだけのショートショートではつまらない。「少しは人間に迫れ!」そう注意すると、渡辺は変な警官の話を書いてきた。聞き込み調査と称して他家に上がりこみ、その家のかみさんとSEXする話だ。帰宅した主人が仰天して詰め寄ると、「聞き込み調査です」と警官は悪げも無く応える。おまけに、かみさんの方も「そうなのよ」と何事も無かったように頷く。
善良な庶民の家庭に非日常が淡々と入り込んでくる不条理な作品だった。

1年生の夏の200枚脚本で彼は栃木の豚屋の話を書こうとしたが巧く行かなかった。
大学の夏休みにバイトに行った養豚所の印象が強烈に残っており書きたかったのだ。
1年の最後の制作実習で渡辺は警官役を務めることになった。落ちこぼれの若者達の前に「軽犯罪法規」を背負って登場する中年の不器用な警察官の役だった。
彼はごつく執拗で不器用な警察官をしごく真面目に演じて喝采を受けた。権威の権化でありながら、その警官には可笑しさと悲しさのような人間性が表現されていたからである。

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2年の専門課程に進級してから渡辺は飛べなかった。
2年の総合制作実習6本の内、半数の監督を武重ゼミ出身者が占めているのに渡辺の名はは噂にも上がらなかった。2年の終わり頃か、渡辺が読んで下さいと分厚い脚本を持って訪ねてきた。養豚所に働く青年の話で、家族や就労者が活写された魅力的な脚本だった。
脚本は2時間に及ぶ長いものだったので、練りこんで、卒業してから挑戦したらどうだろうとアドバイスした事を覚えている。

3年になった昨年の初夏、渡辺が卒業制作の監督に選ばれたと赤い表紙の脚本を持ってきた。タイトルは「8月の軽い豚」、2年次に書いた長編脚本を短縮したものだった。
2時間の脚本を45分に圧縮した分、主人公の家族のエピソードがカットされ物足らない感じがしたが、渡辺は鈍重な力を目一杯発揮して学生映画としての秀作を作り上げた。
青春の負の部分を色濃く抉りながら一条の光を忘れない・・渡辺の演出は映画の本道を行くもののように僕には思われた。

さて、渡辺は現在、「桟橋」の脚本に苦悩しながら取り組んでいる。
高崎浩の原作はそれなりの魅力を持っているが、実際に俳優の肉体を入れドラマに組み上げていくには非常に難しい作品である。ヨコハマの港は栃木の豚屋ではないし、「桟橋」に登場するのはギトギトした野太い地方人でなく、大都会に浮遊する複雑でデリケートな人間達である。今という時間の中に「栃木」があり、「ヨコハマ」も同時に存在しているのだ。
難しいのは、映画作家はそうした混沌としたカオスの中に身を置かなくてはならないことだろう。否応なく、自分達の時代を描き出し後世に残していく宿命を背負っているのだ。それはプロも学生も同じである。

僕は1年で渡辺を受け持ち、4年目に再び彼と同行することになった。
日中韓・3国の学生共同制作プロジェクトの日本側プロデユーサーという名称は気重いが、
一番大事なことは「渡辺らしい魅力的な映画」を作ることだと信じている。
映画は誰でも作れるが、映画はまた、その人でしか作れないものなのだ。

34年前、僕は今村昌平監督と共にヨコハマに映画学校を作った。今村さんは2年前に亡くなり参加できないのが残念だが、片割れの僕がプロジェクトに関るのも何か不思議な縁を感じる。
「若者達よ、道なき荒野を行け!」今村さんは開校時の入学式で学生達に叫んだっけ・・。眼をつむると、今村さんの声が聞こえてくるようで懐かしい。

 

2008年5月4日  武重邦夫


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2007年11月14日 (水)

続・ブログ記事のご紹介

前回ご紹介した、日中韓共同・横浜開港150周年記念映画製作委員会の委員、武重邦夫先生(日本映画学校顧問,映画監督,プロデューサー)から、新しい記事をアップされたという情報が入りましたので、ご紹介します。

ハーさんの人生

ハーさんとは日本映画学校を卒業した在日の韓国留学生・河真鮮さんのことで、38歳で日本映画学校に入学し、 41歳の卒業制作で『URINARA(祖国)-母のまなざし、息子の声-』 を制作した女性監督。日本の高校に通う2児の母親でもあるのだそうです。

この『URINARA(祖国)-母のまなざし、息子の声-』は、昨年の横濱学生映画祭でも上映させていただきました。詳しくは是非、武重先生のブログ記事をご覧ください。

武重先生からいただいたメールには以下の文章が。

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これから北上へ行ってきます。
夏に指導した市民映画「北上物語」の上映会への参加です。
45分の劇映画だが、なかなかの出来栄え。
日本全国、アジアの地方での映画制作、発信が僕のラストランです。
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武重先生は中越地震で被害にあった山古志村でも「
1000年の山古志」という市民映画を製作中です。
こうした思いのひとつとして、横浜開港150周年記念映画製作に参加してくださっていたのですね。
ぜひ成功させたいものです。

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2007年11月 9日 (金)

横浜開港150周年記念映画製作委員のブログご紹介

日中韓共同・横浜開港150周年記念映画製作委員会の委員、武重邦夫先生(日本映画学校顧問,映画監督,プロデューサー)が10月27日に開催した、『 第6回横濱学生映画祭 日中韓共同製作シンポジウム2007〜横浜開港150周年記念映画ストーリー 』の記事をご自身のブログにアップしてくださいました。

2007年11月9日:『 最初に井戸を掘る人                                           

武重先生は過去にも記念映画関連記事を掲載くださっています。

2007年4月20日:『映画ストーリーの公募に皆様も!
2007年9月27日:『チト困った、けど嬉しい

今村昌平氏などと共に映画を製作し、多くの人材を育ててきた武重先生ならではの含蓄のあるお言葉の数々が興味深いブログですので、是非ご覧頂けると幸いです。

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2007年10月31日 (水)

日中韓共同製作シンポジウム2007

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 第6回横濱学生映画祭の中で、このシンポジウムが開催されました。各国の簡単なストーリーの説明と選考の経緯が、発表されました。写真は、ストーリー公募で選ばれた各国の作家さんたちです。左から、ヂャオ・ツァンさん(北京電影学院文学部学生)、高崎浩さん(日本映画学校卒業)、キム・ギヒョンさん(韓国フィルムアカデミー映画演出専攻卒業)です。と三人さんも初顔合わせなのかな、メール交換とかしていました?僕は、語学力がないので、お話も出来ませんでした(汗)。なんとか、写真を撮らせていただいたものの、ブログに載せて良いですかって、聞けませんでした。(ごめんなさい、いいですよね)
 ツァンさんは、大学にはいるまで海を見たことがなかったそうで、その新鮮な感動で、港町の物語を書いたんですね。ギヒョンさんは、応募の動機が、日本に来てみたかったということで・・、良かったですね。浩さんは、学校のお偉いさんがいて、あまり喋らしてもらえなかったですね(笑)
 シンポジウム自体は、表面上とっても和やかな雰囲気でしたが、内に秘めた各学校の闘志みたいなものをひしひしと感じました。なんか、すごく楽しみですね。
 その後、交流会にも参加しました。つくづく語学力のなさを痛感するのですが、中国の学生さんたちは、英語がとても達者で、ホント感心しきりです。簡単な単語で、良いですからって、なぜか学生たちに励まされながら、額に汗しつつ少しお話ししました。そこで、言われたのが、「私たちは、もっと色々意見を聞きたいし、考え方とか、情報を交換したかったです。」そういわれて、あたりを見わたすと、なるほど、日本の学生さんが全然いないんですね。ちょっと、残念なことですね。来年は、是非日本の学生さんも多数参加できる形態があると良いですね。そして、もっともっと、意見を闘わせて、文化交流したいですね。まあ、大人の事情もいろいろとあるのでしょうけどね。近藤でした

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2007年10月22日 (月)

東京国際映画祭

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 東京国際映画祭が、始まりましたね。この映画祭の中に、コリアンシネマウィークに東京・中国映画週間も開催されています。僕は、綺麗な人が来ているというので、中国映画の雲水謡を見てきました。舞台には、この映画以外の人も挨拶に来ていました。左から、われらが、横浜開港150周年記念映画の副委員長でもあります。張会軍(北京電影学院学院長)さん、となりが、雲水謡の監督のイン・リーさんそして、主演の中国のアイドル、チェン・クンさん、ファン・ピンピンさん(この映画には出ていません)まだ、いっぱいいらしてましたが、写真的には、4人が限界なので、ごめんなさい。
 この映画、なんか久々にビビアン・スーさんをいっぱい見られました。綺麗でした。個人的には、もう一人の女優さんリー・ピンピンさんも気になってますが・・(何を見ているんだ?)お話は、もうすっかり恋愛の話しなんですが、時代背景やロケーションのスケールが大きく、圧倒されてしまいます。絵も綺麗です。かなり凝って作られています。女優さんは逆に、綺麗すぎますが(時代的にもね)、物語の中にぐいぐいと引き込まれてしまいました。しかし、恋愛映画は、現実に引き戻されたときが、寂しいです。それは、僕がおやじだからですね。(笑)
 オーチャードホールで、始めて映画を見ました。首がなくて、ちょっと疲れますが、華やかな感じで、映画祭にふさわしい会場ですね。もっと、欲を言えば、街ぐるみで、映画祭っていう、雰囲気が出せれば、もっと楽しいのだろうけど、渋谷と六本木では、無理かな?あとレッドカーペットなんか見てると、ガードが、良い意味でも悪い意味でも厳しすぎて、俳優さんたちが、とっても遠い存在で、映画ファンは、近寄れない感じが寂しいですね。日本人のファンがミーハーすぎるのもいけない原因なんだろうけど、そういう俺も、ミーハーか~。カンヌ映画祭のように、有名人とすれ違ったり、そこらのカフェで、お茶してる姿をさりげなく見てみたいですね。近藤でした

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2007年10月14日 (日)

150年前

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 横浜開港150周年という事で、良い機会なので、その頃の横浜を探ってみたいです。
 開港してから今まで、日本中国韓国の三カ国にとっては、ろくな事がなかったわけですが、それはそれとして、とにかく歴史が大きく動き出した瞬間でもあるわけですね。1853年に浦賀にペリーの黒船が来て、幕府は江戸に上陸したいと主張する彼らをなんとか、中間地点の横浜で、食い止めたわけですね。
「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」という歌は、有名ですから、聞いたことがあるかもしれませんが、まさに日本中が「大釜の煮えたぎるよう」な騒ぎだったようです。
「市中はあげて大混乱に陥った。処々方々に、子供をかかえた母親や老母を背負った男たちが逃げまどい・・軍馬のひづめの響き、武装したサムライのわめき声、ひしめき合う荷馬車の騒音、隊をなして走る火消し組、乱打される半鐘の音、女たちの金切り声に混じって、泣き叫ぶ子供たち・・・」(ダルス箸、辰巳訳「日米交渉秘史」読売新聞社)
 こんな光景は、昔見たゴジラの映画の中の一シーンみたいです。これぞ、鎖国のなせる技なのかな?純粋培養されていた国民だけに、ショックだったろうし、ある意味とても、素直な感性を持っていたのかもしれませんね。今だったら、どうだろう、宇宙人でも攻めてこないとこんな事には、ならないんだろうな~。
 当時の人にしてみたら、笑い事ではすまないのでしょうけど、こんな体験ってしてみたいものですね。すごい興奮するだろうな、なんか世の中の価値観が、一度に吹っ飛んでしまうような出来事ですからね。
 面白いのは、いったん安全だとわかった後は、みんな興味津々で、船で見物ツアーみたいなものまで、出来ていたらしい。お役人も、「黒船見物無用」の札を立てたりして・・ 僕が思うに、日本人の最大の原動力は、この好奇心じゃなかったのかな?きっと、そうですよ、子供のような好奇心こそこの幕末の庶民を支えていたんですよ。ペリーの航海記の中にもそのような記述があったらしいです。ついでにこんなことも「日本人は詮索好きだが、自分のことは言わない」(爆)
 こんな、体験はできないだろうけど、この頃の日本人の気概は、見習いたいものです。近藤でした。
*参考文献:ペリーの対日交渉記(藤田忠著)・横浜ものがたり(宮野力哉著)・ほか

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2007年10月 4日 (木)

必要なもの

 人生において必要なものな何なのだろう?とか考える。実際に必要なものは多くないのだろうとは考えるけど、同時にその人ならではの(だけの)必要なものがどっかにあるんでしょうか。

Img_0548_5 と、電車の中で新しくしたウォークマンのヘッドフォンにうきうきしながら、自分にとって必要なものとそうでないもの?について思わず考えてしまいました。

 エクセルのセルでは目的に合わせて1-10においては必要なセルもあるし、それが1-1000に肥大した時には1から1000のセルを守る(活かす、という言葉を使いたいけど)為に削除しなきゃいけないセルもある、1-10のセルの時は必要な情報(だったはず)なのに、おっかしいなぁーと。

 組み立てるときより切り捨ての難しさを垣間見るような、そんな風に思ってしまいます。(バックアップはとっておくけど、列ないし行はそのまま削除するから勇気がいたりするんですこれがまた,,,)

 150周年記念制作映画は、中・韓・日の作品各々がそれぞれそろい始め、組み立てをはじめようとしている時、になると思います。これからは上方向でやりたい事に対して盛り上がりをはじめるんだと思います。だからこそ、やれる事とそうでないこと、足場をしっかりと、自分に言い聞かせて。

 *写真は第一次選考前の、作業場泊り込みの時のものです。普段はあんまり飲まないんですが、お土産でもってきてくれるリゲインが嬉しいんだか何なんだかですね。。。(笑)

                                         @やさいでした。

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2007年10月 1日 (月)

三つの港紹介~in青島&仁川

 続けて更新、やさいです。このブログの母体ページ、http://www.movie150.com に仁川(インチョン)、青島(チンタオ)、横浜(ヨコーハマ)の3つが更新されました。(WEBスタッフThanks!!)

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 三つの港紹介、という事で作成されたページですが写真も情報も、近くてもやっぱり遠く異国ということもあって、どんな都市か、どんな街かどんな歴史か、なんて所から調べるから右往左往でしたが、

 そんな中、今回、青島と仁川の写真を青島ネット様と、韓国観光公社様が快く掲載の承諾をして下さいました。近くなったとはいえ、全く異国の地。写真一つ調べる&手に入れるのも四苦八苦、本気でJTBさんに借りにいった方がいいのか、フライトアテンダメントの友人がいるから聞いてみよう~~と(グーグルアース見ながら)ため息ついておりましたが、何とか形になったページになったと思います。

 【青島ネット様はこちらから】 http://qingdaonet.org/

 【韓国観光公社様はこちらから】 http://japanese.tour2korea.com/index.asp

横浜はカメラマンの小原誠様の協力を得まして、写真をアップ出来ました。

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テキストは地元、横浜の事なので書けないとかいいわけ出来ないので出来る限り早めにアップしようと思います。、、、、、、ではなくて絶賛鋭意作成中と書いたほうがいいのでしょうか??(苦笑) しばらくお待ち下っさい!

                                           @やさい

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2007年9月20日 (木)

作るという事、造るという事、

作るという事、ってのは難しいなぁーと思うんです。

自分の好きな言葉で

  頭で思い浮かべるのは 1

  それを書面するのは 10

  実際にやるのは 100

ぐらい大変だって話らしく、(自分で実際にやってみると1000な気もしますが、、、、)こういった場に立ち会うと、シナリオを元に進む制作がどういったものになるのか?と思うととても不思議な気持ちになります。

Img_0554_2  *ちなみに写真は今回エントリーした全応募者の方の封筒のおび(切れっぱし)が入っているゴミ箱です。開封作業は全部僕がしたんですよ~~~???(笑

(開封作業をしながらこの内のどれかがグランプリになって、映画に~と思ったらすごくすごく緊張&ドキドキしたのを覚えています)

☆★☆ 
 映画を作る、っていうのは(アート系なんかは全部そうかもしれませんが)、

(原作者の方が)頭で思い浮かべたこの3000字を見て、

関わるスタッフの人たちが頭の中にその光景を浮かべながらシナリオを書いて、絵コンテ作って、

それに合わせながら役者さんや台詞を決めたり、ロケ地を探したり、撮影の許可をとったり、監督さんやスタッフの手配をしたり、

それから撮影に入ってエトセトラエトセトラ……

出来上がりにむけてもまだまだ作業はあったりするわけです。

(って、自分達PRチームの活動もその一つっすね)

まぁーーそんなわけで、この3000字から始まる制作の“製作”のストーリーがどういったものなのか、

PRチームのボスが“怒濤の日々”なんて勝手に入れちゃってますが果たしてどうなることやら、、、、(^-^;;;;;

裏方根性なんでしょうか、そっちばっかり気になっているやさい@事務でした。

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2007年9月19日 (水)

映画鑑賞「純愛」

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 銀座シネパストで、映画を見てきました。日中共同映画です。
 この映画は、いわゆる商業ベースにのって作られた映画では、ないようです。たくさんの人たちの強い意志によって作られ、そして上映されるまでに至った、素晴らしい映画ですね。僕たちが、今からやろうとしている映画作りのまさにお手本のような映画というわけです。
 小林桂子さん、彼女はNPO団体を主宰し、この映画のプロデューサーでもあり、主演もしています。スリランカに幼稚園を建設したり、中国に小学校を建てたりと、すごい実績も積み上げてきてるんですね。
 お話は、第二次世界大戦終了ぐらい、満州に取り残された日本人達のお話です。実際に、中国で出会った残留婦人から直接話を聞いて、ストーリーを作ったそうです。かなり気合いの入った映画でした。
 残念ながら、東京での公開は終わってしまったのですが、これから地方での上映もあるようです。かなり評判も良く、公開も2週間も延長されていたようです。映画館には、小林さん、そして相手役のYASUTAKAさんが、いらしていて、出口で、お客様一人一人に丁寧に、握手している姿は、印象的でした。YASUTAKAさんは、僕が思うにかなりイケメンでした。それで、若い女性客が、多かったのかと、勝手に納得してしまいました。(笑)
 この映画は、時間をかけて(8年だって)多くの支持してくれる人を集め、強い絆で作られている映画なんだな、と感じさせられました。そう言う意味では、僕たちが作ろうとしている横浜開港記念映画には、もう時間は、あまり残されていませんね。だから、余計に、僕たちは良い映画を作るんだという、強い意志を持たないといけないんだなと、改めて思った次第です。近藤でした。

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